医王会趣旨
「医王会」という名前のいわれ
仏教にも深く通じている増永静人は次のように述べている。
雑阿含(ぞうあごんきょう)において釈迦は『医の王とは、1,善く病を知り、2,善く病の源を知り、3,病を対治し、4,その治病を知り、5,当来再発せしめざるを云う』と説いている。現代においても、病人の求めるものは病気の研究家ではなく、かかる『医の王』である。その道が遠くとも理想をここに置き、『診断即治療』の技術を研磨し、医の行為が『天を尊び、地を重んじ、人の和を計る支柱(ささえ)となる(王の意義)』ことを望むもの集まりて『医王会』をつくる。会員はこの目的のために、各自の意見を言合う(いいあう)会とし、また技術習得を期して慰合う(ゐあう)会としよう。かくして真に社会を医(慰)するために、一つに力を合わせて支合う(ささえあう)指圧(支圧)の道に精進しよう。ここに医王会の意義と趣旨を記して、会員の指針とする。[昭和35年(1960)10月]
また東洋医学的立場における指圧療法は、医療の本義である「手当て」の伝統を受け継ぎ、漢方諸法の中心であった導引按喬(本来は足偏)に始まるものである。したがって漢方的診断治療を実践するには、現在の講義形式による西洋医学中心の教育法だけでは不可能である。
特に指圧診断治療は、精神的な患者理解の方法である証診断を、手技を中心とした漢方四診により行ってはじめて真の病人治療になる。これには東洋古来の熟形式により、師弟一体の以心伝心の実感教育を臨床的立場において習得しなければならぬ。これが医王会の趣旨を実践する基礎である。―増永静人著「切診の手引」より―